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大阪高等裁判所 昭和30年(く)21号 決定 1955年8月03日

本籍 奈良県○○郡○○町大字○○○○番地

住居 大阪府○○郡○○町○○○○番地

少年 牛乳配達 夫○本○夫こと松下成男(仮名) 昭和十二年七月十二日生

抗告人 法定代理人親権者父

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の要旨は、原決定は、その第二事実において、少年が強盗をしたように認定されているが、少年は被害者に対して、脅迫的言動をしたことはない。少年は前に被害者方で働いていたことがあるので、万一被害者が目覚めて気付かれた場合に顔を見られては大変と思い、金品を取り出してすぐに屋外に出たから、共犯の○○原○美が後に残つて被害者に対し何を言つたか聞えなかつたくらいであつて、強盗と認められたのは意外である。少年は、不幸にして幼時毋親に死別し、祖父に養われて来た。抗告人たる父は、後妻を迎えたが、早くから神経痛のため半身不自由で十分な働きができないので、何かと困難致し、少年が祖父になついているままに手許に引き取らず、小学校へ通うようになつてから一、二度父の家から通学するようにしたが、すぐ祖父の許へ帰つた。この度事件を起して初めて両親が目覚めて、愛情の欠けていたことと、友人の交りに不注意であつたことを痛感する。殊に少年の継毋○エ○が義理の仲であるためかような事になつて、世間や親類に対して申訳がない。何とか今一度両親の愛情と監督でまじめな人間になるよう努めたいと心から申しているので、両親のこの気持をくみとつて御寛大な処置をもつて少年を手許へ戻れるよう御願いする。というのである。

よつて、案ずるに、少年の司法警察職員に対する昭和三十年四月十三日附、同月十五日附及び同月十六日附各供述調書、○○原○美の司法警察職員に対する同月二十日附及び同月二十二日附各供述調書、阪倉種子の司法警察職員に対する同月十八日附供述調書(二通)の記載を綜合すると、少年は、○○原○美と共謀して昭和三十年三月十七日友人方二個所で窃盜をしたが、所持金を使いはたしたので、前に少年がいわゆる坊んさんとして働いていたことのある荒物商阪倉種子方に侵入して財物を奪取することを共謀し、同月十九日、昼間様子を伺いに行つてから、勝手を知つた少年が金品を物色し、その間○○原が種子等を監視し、もし同女が目をさました時は、○○原が余分に持つている革バンドで同女を脅迫する分担を定め、同夜午後十一時半頃右阪倉方便所の窓から侵入し、それぞれ覆面をなし、電燈を消し、少年がたんすのひき出しを開けて手さぐりで物色中、○○原が電燈をつけたので、右種子が目をさまし、声をかけたので○○原が再び消燈し、バンドの金具を鳴らして兇器を所持しているように装い「静にせい」と申し向けて脅迫しその反抗を抑圧し、その間に少年が、現金約一万六千円と貯金通帳五册在中の財布一個及び別に現金四千円を盜取して両名とも逃走したことを認め得られる。そうすると、少年は、○○原と共謀していわゆる居直り強盜をしたものであるから、直接種子を脅迫したのは○○原であり、金品を奪取したのは少年であつても、両名とも共同一体の関係において共犯者一人の行為が法律上共犯者全部の行為と見られることになり、互に本件の強盜罪についてその責任を負わなければならない。従つて原決定に事実の誤認はない。

次に、その処分について記録を調査すると、少年は○○原等の悪友に感化せられた点、幼時実毋に死別し、その後祖父に養われ、祖父の死後父と継毋に引き取られたが、折合よからず、家出するに至つた家庭環境は、少年に有利な事情として酌量できるが、しかし少年は、性来知能が低く、犯罪性があり、前に働いていた蝶番工場及び阪倉荒物店をやめたのも窃盜横領等の不正があつたためで、○○原等と交るようになつてから、遊興の味を覚え、その金欲しさに本件非行に及んだものであつて、最初の二回の窃盗と一回の強盗とは○○原と共犯であるが、その後単独で窃盗をしているところからみても、すでに不良化しており、家庭環境も、少年の父において被害の一部を弁償し今後の監護を誓うてはいるが、結局少年の在宅保護に適しないと認められるから、少年を中等少年院に送致する旨の原決定の処分は著しく不当であるとは言えない。

本件抗告は理由がないから少年法第三十三条第一項、少年審判規則第五十条により、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 松本圭三 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)

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